パンドラの箱

立ち入ってはならない場所が、このアークにはいくつかあった。
それは、ライフラインに影響する場所だとか。
有害な物質を多く扱っているから、入ってはならないとか。
そんな場所がいくつか存在しているのを、シャドウは把握していた。


パンドラの箱


その部屋の鍵を手に入れてしまったのは、いつの事だったのだろうか…。
どこかで落とされていたものを拾ったものの、いつしか届けるのを忘れて、そのまま保管していた事すら、忘れていた。
部屋の番号や、形状からおおよその場所はわかる。
アークの内部といえば、生まれた頃から、兄妹のような彼女と共に過ごしている箱庭のようなものだ。
どこら辺に何が存在しているのか ということくらいは把握している。
手のひらにある小さな鍵を、シャドウは見つめた。
部屋の番号は書いてあるが、持ち主はわからない。
この番号は研究棟の一部にしか使われていない番号だ。
あまりこの数字になじみは無い。

この部屋の管理者に問い合わせるか、直接この部屋を使っている者にこの鍵を届けてやれば、それでこの用事は済んでしまうだろうと、その時は思っていた。

番号を頼りに、アークの広大な研究棟の内部を歩く。
長く、薄暗い廊下に、自分の足音だけがコツンコツンと寂しく響く。
その部屋にたどり着くには、多くの扉をくぐらなくてはいけなかった。階段もいくつか下ったようだ。
めったに足を踏み込む事もない、研究棟の深部に、その部屋はあった。

手のひらにある小さな鍵と、その部屋の番号を何度も見て確認する。
間違いない。この部屋だ。
こんな深部で、一体誰が、どんな研究をしているというのだろうか。
知的好奇心というものを、くすぐるには十分過ぎるきっかけが、シャドウの手のひらの上にはあった。

思い返せば、プロフェッサーに、「近づいてはならない」 と言われていた番号の並びの部屋のような気もしてきた。
マリアを連れて来なくてよかった と今更ながら思う。
好奇心旺盛な彼女の事だ。真っ先に開けて、飛び込んで入ってしまうに違いない。
どちらにしても自分ならばそう危険な事も無いだろう。
中に何があるのか、危険な物と言うのは何なのか。把握しておくというのも、マリアの無鉄砲な散歩を抑制する意味でも、中を確認する価値はある。

何かと理由をつけては、中を見るために小さな鍵をその部屋の鍵穴に差し込んだ。

いとも簡単にその部屋の鍵は開く。



その部屋は、温度も低めで湿度も一定だった。
薄明かりのついている部屋中に、保管用のポッドがいくつもならんでいる。
ポッド内は液体で満たされ、内容物が浮かんでいた。どうやら標本か何かのようだ。
危険な物など、特に見当たらない。研究資料が並んでいるだけのようにしか見えない。
おおかた、マリアが見て驚いて怖がらないように、脅しでもかけていたのだろう。
プロフェッサーらしい心遣いなのかもしれない……。と考えながら、シャドウはなんとはなしにそのポッドの一つに近づいて中を覗きこんだ。

見覚えのある物が浮いている。

尖った黒いトゲに、紅く入ったラインが映える。
空ろに開かれた瞳には、紅玉のくすんだ色が入っていた。

鏡面のポッドに、一瞬自分が映ったのかと思った。
もしも本当にそれだったら、どれだけ良かっただろう。

中には、首から下の無い自分がいた。

「………!!!!こ……これは……一体?なんだ……?」

あまりのことに息が止まった。目を見開く。驚愕というにはあまりにも語彙が足らない。
心臓が早鐘のように打ち、最大量の血液が体中を駆け巡る。
手が震えて、力が入らない… 一体なんだこれは…ぼく?
口がカラカラに渇いて、のどが悲鳴を上げそうだが、一切声は出なかった。
目の前の光景を、どう捉えたらいいのだろう。
よろめきながら一歩下がると、背後にあるポッドに体がぶつかった。
つい、振り返る。
そこには、明らかに自分と同じ体の……部品だけが浮かんでいた。

体の血が、すべて逆流しているような眩暈に襲われる。息が出来ない。酸素が足らない。
足らない酸素を求めて心臓が悲鳴を上げる。
体が言うことを聞かずに震えだした。
隣のポッドに目をやれば、体の中から内容物をぶちまけている自分が浮かんでいた。
その隣には、手足はあるが頭部だけが萎縮してしまって、小さくなってしまっているものもある。

片目がない。
手足がない。
片手だけしかない。
頭の中身が崩壊している。
小さな幼体のようなものもある。
かつてシャドウであったもの。シャドウを構成していたであろう部品。
そしてそれの標本。
そんなカプセルが…この部屋一面に並んでいるのだ。


たまらず、シャドウは床に吐瀉した。
脳内に巡る血液が速くて、眩暈がする。
視界が揺らいで仕方がない。胃から内容物が勢い良く噴射される。
また吐いた。


そこは自分の出来損ないが保管された墓場だった。


「僕か…」
口の端についた吐瀉物もぬぐわずにシャドウはつぶやく。低く、地を這うような声を絞り出す。
「次は……僕なのか?」
震える手の平を、握り締める。ギリギリと爪は掌に食い込んでいく。
この目に映っているのは、未来の自分か?
不老不死で、究極の力を与えられて生まれて来たと思っていたのは虚構だったとでも言うのだろうか。




昆虫採集の標本のように、中にピンで打ち付けられている自分のポッドを叩き壊した。
次から次へと、狂ったようにシャドウは破壊を繰り返す。声にならない奇声が、シャドウの口から漏れていた。
ポッドの内容物が飛散する。液体が流れて薬液のにおいが部屋中に充満する。
ポッドが壊れた衝撃で、警報装置が鳴り出したようだが、もうシャドウの耳には届いてすらいなかった。
次々と自分のなりそこないが流れ出してゆく。
それをかき集めては抱き上げた。

がくがくと肩が震える。薬液で自身が汚れるのすら厭わない。
「次は……次は僕なのか……次は……僕だ……」
死んでいる自分を一つずつ目に焼き付ける。
焼いて灰にしてしまおうか。自分自身を供養するのに何のためらいがあるというのか。
人間の足音が聞こえてくる。警備用のロボットも一緒だった。
騒ぎを聞きつけた研究員がその部屋に駆けつけた時には、もう部屋の大半のポッドは空になって、一まとめにまとめられていた。
「……?シャドウ??!! 一体この部屋で何をしてる!!」
「シャドウだって!この部屋にシャドウを近づけるな って言ってあっただろう!」
警備にあたるロボットが一斉に銃口をシャドウに向ける。
「自分のクズでも見て気が狂ったのか…? もしかしてコイツもダメなのか?」
「……コイツも……だと…?それは…僕の事だというのか…?」

自分の中にある感情が、悲しみなのか怒りなのかもう良くわからなくなって来ていた。
ただ、ただ、目の前にある存在全てを、消してしまいたかった。

「これもダメ……あれもダメ……そうやって貴様らは次々と『僕達』を処分して来たと言う訳か!!!!」
「処分して来たわけじゃない!!不完全だったんだ……!研究っていうのは、そういうもんなんだよ!」
「不完全な者の中には、処分された者だっていたはずだ。この僕も処分するというのだろう!そうやって、ずっと…ずっと…繰り返して来たとでもいうのか…!」
体中から力が溢れ出してゆく。紅い憎しみの色を湛えた力に、抱かれていた自分自身が消失してゆく。
「処分された僕は、生きたいとは言わなかったのか…?完璧な究極生命体でなければ、生きる価値さえ、無いと言うのか…?」
「シャドウ!やめるんだシャドウ!!お前は特別だ!特別製なんだよ!」
「命に特別なものなど無いと、マリアは僕に教えてくれた!僕に何か特別に与えられた力があるというなら……!それはお前達に反抗する力そのものだ!!」

生まれてこなければ良かった。
知らなければ良かった。
必要とされているなどと何故思ったのだろう。
全ては研究の先にある 成果を求めただけの結果というのか…?

作られた命など、所詮は物と同等。
壊れたならば捨てられるのみだ。いっそ捨てられるならば、全てを虚無に返したかった。

思いきり開放してやった力は、人間をチリのように薙ぎ、部屋を吹き飛ばした。
その部屋から飛び出した紅い光矢は、次から次と施設を破壊し、人を巻き込み、膨れ上がっていく。
何人もの研究者が犠牲になった。警備するはずのロボットは紙くずのように千切られて転がった。

どれだけの手を尽くしても止められそうにないシャドウの暴走は、一人の少女の呼びかけで止まったらしい。
力尽きて昏倒したシャドウには、強力なリミッターがつけられることになった。
秘密裏に全ての記憶をスキャニングされ、不必要な部分は消されたらしい。
目覚めた時には、その暴走はシャドウのプロトタイプの暴走だったという件で収まり、全ては元通り……

のはずだった。

シャドウ・ザ・ヘッジホッグの暴走、破壊行動の連絡を、内通者である者から秘密裏に受けたGUNは、数週間後、シャドウプロジェクト封滅作戦の実行を議決する。
それは、あの悲劇の始まりに過ぎなかった。