例えば過酷な真実が待っているとしても


 
空では星が瞬いていた。

幾千もの星が、空を覆い尽くしてこの世界に光を降らせている。星という物を説明してくれたのはテイルスだ。星の光と光の速度というものの概念を説明してくれたけれども、とんでもない距離と時間を飛び越えて、あの光が今ここに届いているという事を説明されても、チップにはちょっとピンと来ない。

チップは屋根から見える街並みを見下ろしていた。危ないから外には出るなと言われていたけれど、こうも手持ちぶたさではずっと部屋に閉じこもってなどいられなかった。チラホラと家の窓から光が漏れているが、大体の家は闇に包まれ、朝日が昇るのを息を潜めて待っている。
ここはソニック達の寝ている部屋のすぐ上なので、呼べばウェアホッグの姿になったソニックが飛び出してきてくれると確信していたから、不安ではなかった。
時折街の遠くから、何かの咆哮が聞こえてきたが、あまり考えないようにしていた。ソニックにも休息が必要で、いつもいつも昼も夜も戦い通すわけには行かないのだ。
昼はエッグマンのロボットの大群を。夜はダークガイアの眷属の大群を。それぞれ相手にしているのだから。

夜風が肌に心地良い。夜というのを今まで感じたり、考えたりしたことが、自分にあったのかさえ、記憶のないチップにはわからない。自分の名前すら思い出せないのに、自分の過去などどうしてわかるのだろう。
圧倒的に自分に対する情報が少なかった。この世界に自分と同じ生き物が存在しているのかすらわからない。
教授はチップのことを見たこともない生物だと、興味津々でチップの生態に対して聞いて来るし、チップの好き嫌いの傾向から、どのような場所に生息していたかどうかも調べてくれたが、一向に何者なのかきっかけすら無い。
この状況が、不安でもあったが、実は楽しくもあった。
元々元来の性格か、あまり落ち込む事の少ないチップにとって、この世界の見る物聞く物全てが新しく、キラキラしていて、飽きるということがなかった。
幸い知能は無くさなかったらしく、それ相応の知能があるお陰で、新しい人生を歩んでいるのと同じ感覚なのだ。それはまさに、生まれ変わったのと同意だった。
もしも記憶を取り戻したときに、自分の置かれている立場や環境が、とても耐え切れないほど過酷な物だったとしたら、今のこのソニックと一緒に世界をまわる旅をしているという事は、とても幸せな事なのかも知れない。
それをチップはなんとなく感じ取っているのか、記憶のないことを不安がったり、自分を追い込んでまで記憶を取り戻そうとはしなかった。
それは逆に、ソニックの心的負担を軽減していることにもなるのだが、その自覚は本人にはないし、純粋にこの世界を心から楽しんでいるようだった。

「チップ…?チップ…どこ?」
小さい声が部屋からする。ボーイソプラノの高い優しい声。いつもソニックのサポートをし、天才的なメカの整備や制作の腕前を見せる、ソニックの相棒とも言うべきテイルスの声だった。
チップに対して最近は慣れてきたのか、まるで兄のように接してくれる時もある。
「ここだよテイルス!」
天井に空いている天窓の中へ、屋根の上にいるチップが顔を突っ込んだ。少し驚いた風に顔を上げて、チップの姿を確認すると、テイルスの口から安堵のため息が漏れた。
「まだ夜中なのに、何をしてるの…?きちんと寝ていないと、明日倒れちゃうよ…?」
よく言う。チップは、テイルスがロボットの調整に夢中になって、夜更かしをしたり、朝日が昇るまでずっと起きていたりしていることを知っている。
毎日のようにトルネードを飛ばし、整備し、神殿の場所を探してくれているテイルスのほうが、ずっと寝ていなくてはダメなのだ。しまったな…という表情を浮かべて、チップはテイルスの元へ降りていく。
「エヘヘ…ごめんなさい…目が、覚めちゃったんだ」
チップの為に用意されている、大きめのカゴに詰められたクッションの上に丸まるようにして横になる。
ひんやりとした空気が、天井に空いた天窓から降りてくる。ここら辺の気候は緩やかで、昼も暑すぎず、夜も寒すぎず、常に快適な温度の気候を保っている。それでも、夜半の空気は冷たい。 
「この間も、夜中に出かけてたんだって?…そんなに夜出歩いたらだめだよ。まだ小さいんだから…」
「…知ってたんだ…」
自分ではこっそり出かけているつもりだった。絶対にバレていないと思っていたのだが、甘かったようだ。
「うん。ソニックが言っていたよ。チップが一人で出歩いていたら、気をつけてやってくれって。大きなエネミーに囲まれたりしたら危ないからって。ちょくちょく、夜に出かけてるの?」
心配をさせるつもりはなかった。本当にただ個人的な理由で、夜中にみんなが寝静まってから外出したりしていたのだ。
「ソニックも知ってるんだ…」
ソニックはブランケットを頭まで被って、気持よさそうな寝息を立てている。
たとえ1人で外出したとしても、そんなに離れた場所に行くことは無いし、一人で無謀な冒険だってすることはない。
自分の非力さはソニックの戦う姿を見ていてわかっていたし、やはり知らない事の多い世界は、少し怖い。
「夜中に出歩くのは危ないんだよ。そんなに何回も夜中に目が覚めるの?」
小さな子供くらいの年齢だろうと、テイルスはチップの様子からみて想像していた。
小さな子供が夜中に目が覚めて、うろうろ歩きまわってしまうような状況といったら、何か病気か、それとも元々夜行性の性質があるのか、そのどちらかくらいしか思いつかない。
しかしチップときたら、そんな風に夜中歩きまわっているとしても、昼間に眠そうにするような仕草を一切見せないのだ。夜行性なら本来昼間に睡眠を取るであろうから、昼間に寝てしまうのも説明が付くのだが。
チップは俯いて黙っている。
言うべきか、言わないべきか悩んでいる様子で、小さなチップに、何をそんなに隠すものがあるのだろうかと、テイルスは訝しんだ。
「チップ?どうしたの?何か困ったことでもあるんだったら相談してよ。友達じゃないか」
チップの丸まっているカゴのそばに座って、テイルスはチップと目線を合わせる。
記憶がないというだけでも不安だろうに、少しでも力になってあげられたらとテイルスは思う。
「あのね…テイルス。チップって変なんだよ」
その言い草は、自分でも理由が分かっていないという風だった。
「チップね…チップね…。眠くならないんだ…。」

「…?え?眠くならないって、昼間に沢山寝てるから?でもいったいいつ…」
「違うんだよテイルス。昼も夜も、チップはみんなみたいに眠くなったりしないんだ。なんでだろう…みんなとそこだけ違うんだ…」

一瞬、チップが何を言っているのか理解出来なかった。
歴史上の人物には、睡眠時間がかなり短時間で生命活動を維持することのできる人がいたという事は知っている。
短時間睡眠での活動は不可能ではない話だ。
しかしチップの言い草はそういう意味では無さそうだ。

「待って…眠くならないの?全く?全然?」
コクリとチップは頷いた。そう言われてみると、出会った当初、ベッドを用意してもいまいち反応が悪かったように思う。寝るという行為自体、チップにとって馴染みのない事だったのかもしれない。
でもまさか、生命にとって睡眠を取らないという事が果たしてあり得るのだろうか。
チップの言っている事が本当だとすれば。考えうる可能性の話でしかないが、チップは通常のいわゆる「生きている」者とは、生命活動自体が異なるということである。それを肯定してしまえば、チップという存在が、「生きていない」事の肯定に繋がるかもしれないのだ。
「じゃあ、今まで、夜みんなが寝ている時もずっと一人でいたっていうの?」
それならば夜中に出歩き、外に出ていってしまう事の説明も付く。
チップが「寝ない」などと一体誰が想像しただろうか。

「出会った頃に、みんながベッドへ行って寝てしまったときに、どうしたらいいか解らなくって、ソニックに沢山教えてもらったんだ。みんなが寝るっていうこと、ソニックも寝ないとダメだって言うこと、チップには眠くなるっていうのがよく解らないから、とりあえずみんなが寝る時は、真似しとくようにしたんだよ」

ロボットやアンドロイドというなら、眠くならないのも道理が通る。だが、食事を取る点から言っても、人工造形物とはまた違うようでもある。チップは一体何者なんだろうか。
「そうなんだ…。チップはみんなに合わせて、寝たフリをしていてくれてたんだね」
チップが、周囲の者との圧倒的な違いを受け止め、どう感じていたのか、テイルスには痛いほどわかる。かつての自分も、周囲との身体的特徴の差から、辛い目にあった事があるのだから。
「やっぱりチップって変だよね?なんで眠くならないのかな。なんでみんなと同じじゃないのかな…。いつもいつもみんなが寝ちゃうとつまらないんだ。ソニックが夜起きていてくれてる時は、とっても楽しいけど、ソニックが夜寝ちゃうと…みんなも寝ちゃうしつまんないんだ…」
ソニックは知っていたのだ。思えばウェアホッグの姿になるようになってから、昼間に走りに行くよりも、夜に活動する事の方が多くなった。
ソニックが昼間に睡眠を取っている間は、チップはテイルスやエミーと一緒に行動を共にしている事が多い。
チップが眠らないという事実を踏まえてみると、チップが一人ぼっちにならないようにと、バランスを取っているようにも思える。
それは意図してやっていたのだろうか。だとすれば。

「ソニックにはかなわないな…」
テイルスはひとり呟く。
チップの記憶が取り戻されたその暁には、きっと眠くならない理由もわかるかも知れない。それが例え、辛い真実だったとしても、ソニックと一緒なら、チップはきっと大丈夫だろう。
「ねえ、チップ。僕は逆に眠くならないチップが羨ましいよ。眠らないでいられたら、どんなに沢山の本を読めるか…!」
これはテイルスの素直な感想だ。睡眠時間が惜しいと思える事が、どれだけ沢山あるだろう。
「えー?そうかなー。本ってそんなに面白いの?」
紙に何か絵が書いてあるだけじゃない、とチップは言う。
そこに人類が綿々と築き上げてきている叡智が詰まっている事を、まだチップはわかっていない。
チップと会話している事で、テイルスの目も冴えてしまった。
ソニックが休息をとっている間、チップと時間を過ごすのは、自分の役目かもしれない。

ソニックの睡眠の妨げにならない様に、テイルスはそっと廊下への扉へ手をかけると、唇に指を当てる仕草をしながら、小さな声でチップを呼ぶ。
「おいでチップ。教授の蔵書の中から、読めそうな本を探してあげる」
自分もソニックも、休息をとっている時に、少しでもチップの孤独感を誤魔化してあげられたら。
1人ぼっちの時間さえ、本はその孤独感すら埋めてくれるから。チップが本を気に入ってくれると良いのだけれど。

静かに寝静まった廊下に、小さな足音と、小さな羽音が響く。


この時はまだ、チップが眠りに着くその時が、チップとの別れの時だということを。

誰もがみな、知る良しも無かった。