旅の終わりと始まりに。

天から振る恵みの雨が、いつも恵みとなるかどうかはわからない。
 少なくとも今の状況からすれば、それは恵みの雨とは言い難かった。

 急に降りだした雨は止む様子を見せず、ただただ酷くなるばかりだった。
 水煙があがり、大地はぬかるみ、とてもではないが走れるような状況ではない。
 暖かかった空気が一瞬で冷やされ、身を切るような寒さへと一変する。
 そんな天候の中、カリバーンを抱えたソニックは、森の中を疾走していた。
 水煙で視界はどんどん悪くなる。どこかに雨をしのげるところは無いかと必死で森の中を探索して回る。
 大きな木の根本に、人一人くらいが入れるようなウロを見つけると、これ幸いと飛び込んだ。
 少し狭いが、雨を凌ぐ一時避難としては、悪くないサイズだった。
 カリバーンを一番奥の、水の当たらない場所に立てかけてやる。あまり水に当てると錆びるといって五月蝿いから、いつも雨の中では長く走ることが出来ない。
 体全体を揺すって、背中の長いトゲから滴る水を弾き飛ばしたかったが、狭すぎて出来ないので諦めた。
 水しぶきを浴びてずっしりと重くなったマントを脱ぎ、絞り上げる。多少水分が抜ければ、また走りながら乾かせるだろう。
 右手の篭手を外す。篭手の重さの分、重くなっていた右手が久々の開放に脱力する。篭手を支える為につけている、いつもの手袋よりも分厚い手袋を外す。雨のせいで蒸れていたのか、右手は水分を吸ってシワが出来ていた。
 背負っていた小さなバックパックのような袋を下ろし、中身を確認した。たいした物は入っていないのだが、濡れてしまった携帯食料は早めに食べなければいけないだろう。湿気ってしまったその食料を、嫌な顔せずに口にほおりこんだ。   お世辞にも旨いとは言えないシロモノだが、無いよりはずっといい。
 奥歯でゆっくり噛み締めながら、ソニックは手荷物を確認し、袋の口をとじた。
 ちょっと狭苦しい空間に、雨の音が満ちる。木々の葉が雨を弾いて独特の音楽を奏でていた。
「ひゃー 降られたなあ…….こりゃあこのまま雨が止むまで雨宿りするしかないな」
「前の街を出てから、もう4日か… そろそろ食料が尽きてくる頃ではないのか?」
 小さな荷物の中身を心配して、話のできる伝説の剣は、主に声をかけた。
「うーん…携帯できるものにも限りがあるからな… ま、そうなったら狩りでもするさ。そういうのは慣れてるんだ。でも俺の足なら、次の街なんかすぐに見つかるさ。なんなら、戻ったって構わないぜ」
 誰よりも風の様に走ることのできる脚を持つ、このソニックという男は、余裕の笑顔を見せる。
 一体この男は、この世界に来る前の世界で、どういう生活をしていたのだろうか。
 王の技量を測る伝説の剣として、丘の上に封印されていたカリバーンにも、自分を扱うこの主の器が計りきれずに困惑していた。
 以前、ソニックがいたという世界の話を聞かせろ、とせがんで話をさせたことがある。
 しかしよくわからない事象ばかりで、やれ、箱型の大きな塔が立ち並ぶような街があるとか、くるまとか言う箱が、タイヤという物の上に乗って走るとか、奇妙奇天烈、奇想天外な話ばかりで全く理解出来なかった。
 そのうちソニックは自分の世界の話をするのをやめてしまった。説明に疲れてしまったのだろう。
 むしろ逆に、こちらの世界の話を聞きたがり、強いては世界を見たいと言って、円卓の騎士達の静止も聞かずにキャメロットを飛び出してから早1ヶ月。
 数々の住人の話を聞き、問題も一つづつ片付け、暗黒の兵士の残党を狩り、風の王ソニックの名はジワジワと国内に浸透してきつつある。
 宮廷魔術師のマリーナ、以下円卓の騎士達が王城を守っているとはいえ、王が不在ではなんとも心苦しいのだが…。
 これまで出会ったどんな主も、王という地位を手に入れたならば自国の玉座から離れるような事は無かった。
 それは一国の主として、国民を統治していくのに謂わば当たり前の事のはずだ。玉座に王が不在では、一国として成り立たず、それはいつしか滅亡へと坂を転がるに間違いない。それを危惧するあまりに、マリーナの暴走もあったというのに……。
 だが、この男はそれをしようとはしない。自ら剣を持ち、自らトラブルに顔を突っ込んでは解決してしまう。
 『俺は王様なんか願い下げだね!俺は自由でいたいんだ!』
 王という地位よりも、国民の統治よりも、自分の自由を優先させるこの男は、果たして王に相応しいのだろうか。
 「ソニック。一つ聞きたい事がある」
 「ん?何だ?あらたまって」
 「王になるのはイヤなのか?」 
 しんとした森の中に、雨の音だけが響く。その音に耳を傾けながら、ソニックは少し間を置いてから答えた。
 「ああ。イヤだね」
 カリバーンはソニックの真摯な瞳を真正面から見据えながら、この男の真意を見抜こうとする。
 付き合いは長くない。激動の冒険を一緒に越えてきたとはいえ、ソニックという男そのものを見る時間は、それほど多くはなかった。
 それでも。この男は王となる器に相応しいと感じたからこそ、あの丘で出会った時に身を委ねたのだ。
 「今まで私を引き抜いた者達は、全て王国を束ねる王となった。一人として拒絶した者はいない。何故ならば、この世界では王という地位はみなの憧れでもあり、騎士を束ねる王は、何者にも勝る頂点だからだ…。」
 「ふーん。俺はそういうの興味ないね」
 ソニックはそっけない返事をする。
 「この世界ではそうかもしれない。でも、俺の居た世界は、それだけじゃない。みんな色々な生き方をしてるのさ。何かを守って、ずっと一人でいるヤツも居る。自分の好きな物のために、日夜研究に明け暮れてるヤツも居る。誰かとの約束を守るために戦ってるヤツもいるし、世界征服が趣味みたいなヤツも居る。そんな世界さ。面白いぜ?」
 ソニックの口元に、思わず笑みが浮かぶ。その表情には、実に素直な感情が隠れているような気がしてならない。
 ソニックは元いた世界が好きなのだ。玉座を約束されたこの世界よりもずっと。
 「ここで王になるのであれば、ずっとこの世界に居ればいい。だが、王になるつもりが無いなら、何故早く自分の世界に帰ろうとしない?」
 マリーナに頼めば、きっと元の世界に帰るのはたやすいだろう。

「……探し物があるのさ」
 雨足は強く、か細い声では聞き取りにくいくらいの水音が世界を支配する。
 木のウロは狭く、脚を縮めて体を濡らさぬようにしていても、ほんの少し足先が雨水で濡れていた。
「…探し物だと?」
「そ!探し物。マリーナでも、ランスロットでも、パーシヴァルでもガウェインでも、誰にも探せない、探し物さ」
「なんだと……宝探しをしようというのか?この世界で?」
「そしてそれは、きっと俺でも探し出す事は出来ない」
 葉を叩く水の音は尚高く。元々涼しい森の気温がさらに低くなっていく。
「…は?…お前でも探せない探し物とは一体………」
 謎かけ遊びでもされているような感覚に陥る。誰にも探すことの出来ない探し物とは、一体どんな宝物なのだろうか。
「お前じゃないと見つけられないからさ。カリバーン」
 水の落ちる音に一瞬、聴覚でも奪われたかと思った。目の前にいるこの風の騎士の真意が計り知れない。
「わ…私でないと見つけられない宝物…だと?」
「だってそうだろう?お前は王を選ぶ唯一無二の聖剣なんだろ?新しい王を見つけるなら、お前じゃなきゃ駄目じゃないか」

 雨は止む気配すら 見せない。

 「帰るのは簡単さ。俺はいつでも帰りたくなったら帰るさ。でも俺が帰れば、お前はまたあの丘に刺さりっぱなし。雨が振っても、風が吹いても、何年も何年もずっと同じ景色をみて、王をただ待ち続けるだけなんて、俺だったらゴメンだね。だったらいっそ、こっちから探し出してやろうと思ってさ!」
 信じられなかった。帰ろうと思えばすぐにでも、この国を見捨てて帰ることはたやすいはずだ。
 なのにその選択をしないのは……この私を慮っての事だとでも言うのか………!!
 「お前は……!お前というやつは……!」
 カタカタと、カリバーンの体がかすかに震えている。
 「いらぬお世話だ……そんなことで……お前は馬鹿だ 大馬鹿者だ………!」
 私の目に狂いはなかった。誰よりも優しい、慈悲深き風の王。
 「何だよナマクラ、寒いのか?それとも雨に当たって錆でもしたか?」
 無機物の生命体に、もしも涙と言うものがあったなら、きっと私はうっかりここで、零してしまっていたかも知れない。
 「そんな甘い事を言うようなヤツに、一国の主が務まるものか!これは早くヒヨッコに変わる新しい王を見付け出さねばならん。お前はさっさと元の世界に帰れ!」
 「へいへい、そうさせてもらうさ。そうでもなきゃ、いつまでたってもナマクラの話相手をしなきゃならないからな!」
 しとしとと振り続く雨は、そろそろ止む気配を見せ始めた。
 この分であれば、ソニックの走る速度で雨も弾かれてしまうだろう。
 荷物をまとめ、装備を整えてソニックはカリバーン片手に、また旅を始める。
 
 この心優しき風の王との冒険を、カリバーンは何時までも語り継いでいこうと、心に誓うのだった。